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アメリカ留学記③ アメリカに行こう

【アメリカに行こう】

当時つきあっていた彼女と離れたくないというだけの理由で、行きたくもなかった県内の大学に入ってしまった。当然、学校に対する興味や期待はほとんどゼロ。入学以来、ぼくはほとんどまともに授業に出席せずに、スイミングスクールや塾の講師といったアルバイトに明け暮れる日々を過ごしていた。3年生になって間もない頃には、その彼女にふられてしまい、絶望的に落ち込む日々が続いて、しかも就職活動の時期が迫ってきていた。地方の無名の大学ということもあって、将来への展望もほとんど見えなかった。

そんな不安でいっぱいで、暗澹たる時期にぼくはハル・サリバンに出会った。


 大学では法学部に籍を置いてはいたが、法律には何の興味もわかず、選んだゼミが「20世紀のファシズム研究」。法学部の教授でありながら、右翼思想家として、革命家として広く知られる北一輝の研究家であるゼミのH教授は学内のちょっとした変わり種だった。頻繁に喫茶店でゼミを開き、授業の一環という名目で韓国グルメ旅行と、ぼくらにとっては、気楽につきあえる良い人で、何より、努力しなくても単位をくれそうな先生だった。


ゼミがはじまって間もなく、大学近くの安い居酒屋で開かれたゼミの飲み会。留学生科の世話役でもあるH教授は交換留学生であるハルを連れてきていた。ハルは元々軍人で、駐留していたハワイで日本人の女の子に熱をあげて以来、日本に住むことを夢見るようになったらしい。ヒゲをたくわえ、豪快に笑い、バカバカ煙草を吸うハルとぼくはすぐにウマがあった。ぼくは英語を少しは喋ることができたこともあって、その日以来、ぼくたちは飲み友達になる。閉そく感でいっぱいの毎日だったから、楽天的で、人生を目いっぱい謳歌しているハルと飲み歩いたりして遊ぶのは刺激的だった。


飲んだ後に実家に帰るのがおっくうになって、そのうちに大学のすぐ裏にあったハルの住む古い公団マンションに住みつくようになった。おせじにも素行が良いとは言えない、学校のはみ出し者であるぼくの友人たちも、気取ったスノッブな人たちを軽蔑する態度を隠さないハルを“認めて”、いつのまにか彼の部屋は我々のたまり場と化してゆく。

そんなつきあいが半年ほどたったころ、「俺はあと少しでアメリカに帰る。お前も一緒に来いよ。」ぼくの実家でビールを飲みながらハルが言った。このまま漫然とした日々を送って、おそらく就職もうまくいかないだろう。せっかくの学生時代、何か心に残ることをしないと後悔する。しかし、外国で暮らすことで孤独になったりしないだろうか。うまく、溶け込めずに、みじめな日々を過ごすことになったりはしないだろうか。マイナス思考に陥ったとしても不思議ではなかった。しかし、ハルがいっしょにいるのならば、孤立したりすることはないだろう。そして何よりも「人生一回きりだから」という僕が強く持つ信念は、ハルの誘いにのっかることを選んだ。アメリカで暮らしてみよう。人生が間違いなく大きく変わるだろう。何かが開けるかもしれない。そして、ずっと憧れていたアメリカ。大好きなロックの国アメリカ。碧い目の少女たちが微笑みかけるアメリカ。

「行ってみよう」。 心を決めた。早速、ぼくは向こうでの学費をかせぐためにバイトに精をだしはじめた。


 ハルは出身地であるロードアイランド州の大学の中から入りやすそうな大学を選び、願書を取り寄せてくれた。かなりのリベラルな親だったので、簡単に説き伏せた。大学からの“合格通知”をもらい、アメリカ領事館に行って、F-1と呼ばれる留学生ビザを取得し、という具合で拍子抜けするくらいトントン拍子でことは運んで行った。

 
 このときは、とんでもない落とし穴が待ち構えていることには全く気付いていなかった。